仏教瞑想特別講座 1
仏教瞑想特別講座 1
本来なら、ブッダの思想を説明してから瞑想に入るのが自然ですが、
もうすぐ瞑想講座がありますので、今週は瞑想についてお伝えします。
講座に参加される方は、予習として読んでください。
初期仏教編
ブッダの瞑想法は、部派仏教時代に出来た初期仏教の仏典から
推察するしかありません。
初期の仏典の中で瞑想法を説いた経典としては、
『大念処経』(マハーサティパッターナ・スッタ) と
『出入息念経』(アーナパーナサティ・スッタ) が代表的です。
ブッダの瞑想指導も、ほぼこの経典に沿ったものだったと思われます。
『大念処経』には、「四念処」という有名な瞑想法が出てきます。
身体・感覚・心・法の4つを観る瞑想法です。身体を観る瞑想のなかにも
さまざまな瞑想法があり、全体ではかなりの数の瞑想法になります。
法とは仏法のことで、無常・無我など、この世界の現象の本質を、
ありのままに観る瞑想になります。
『出入息念経』は、「呼吸による気づきの経」とも言えます。
全部の16の呼吸法があり、その呼吸を通じて、身体・感覚・心・法の
4つの瞑想が出来るようになっているのが、ミソです。
ブッダは、ひとりの人にこれらの瞑想すべてをさせたのではなく、
その人に合った瞑想を指導していたと思われます。おそらく後世の人が、
ブッダのさまざまな教えを、このように体系的にまとめたのでしょう。
どの瞑想法によってでも、執着を離れ、苦を無くす道を歩むことができます。
今回は、四念処のなかから、身体を観る瞑想の一部をご紹介します。
歩いているときは「わたしは歩いている」と知り、
立っているときは「わたしは立っている」と知る。
坐っているときは「わたしは坐っている」と知り、
臥せているときは「わたしは臥せている」と知る。
文字で表すと単純ですが、実は、メチャクチャ深いです。
わたし達は普段、無自覚に無意識に動いています。お茶を飲む時に、
カップを口に運ぶために、手を動かそうとは考えないはずです。
手は無意識に動きます。このように、私たちの身体や心は、
自己のコントロールを離れて存在しています。
身体を観るとは、今この瞬間の自身の状態や動きを、意識的に、
そのままに観ることです。
あるがままに見る ということが瞑想の基本となります。
--- 次回は 「 上座部仏教の瞑想法 」 ---
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